兄弟仁義 続・関東三兄弟

昭和の初頭。深川の荷役業者・辰馬組は小頭・関根政次の采配ぶりでメキメキ売り出していた。組長の辰馬勇太郎と兄貴株の小守秀松らは、政次の根性を高くかっていた。そうしたある日、辰馬組の三次が、大和田組の子分に殺されるという事件がおきた。大和田組は、関東一円の親分らで結成している関東七人会の一員で、東京港の荷役を一手に引きうけている大組織だ。それだけに辰馬組は後にひけなかった。それを知った政次は、組の危急を一人で背負おうと、義兄弟の末広勝次郎に応援を頼み、二人で大和田組に乗りこんだが、大和田をかばう代貸清吉を倒しただけで、勝次郎は警官に逮捕され政次はやっとのことで逃れることができた。騒ぎの大きくなるのをおそれた、七人会きっての顔役、藤枝英五郎が仲裁役をかって出た。手打ち式の当日、大和田組は清吉の子重男を政次にけしかけた。罠とは知らず、重男を叩きのめした政次は、手打ちの掟を破ったものとして、指を詰めさせられ、草鞋まではかさされることになってしまった。それから二年が過ぎた。辰馬組のまっとうな世渡りに惚れこんだ、藤枝英五郎は辰馬勇太郎と義兄弟の契りを結んだ。勝鬨橋架橋工事も、藤枝組と辰馬組とで引きうけるなど、辰馬組は日の出の勢となり、組も倍にふくれあがっていた。藤枝と辰馬両組の態度に、七人会は、いずれこの二人に牛耳られるとの意見の一致をみて、殺し屋をはなった。そのため藤枝は殺され、辰馬は重傷を負った。こんな騒ぎの最中に、刑期を終えた勝次郎が現われ、旅に出ていた政次が帰って来た。こんどこそと、二人は大和田の警戒網をくぐりぬけて躍りこんでゆくのだった。

解説

「兄弟仁義 関東三兄弟」のトリオ、村尾昭がシナリオを執筆し、山下耕作が監督、山岸長樹が撮影した“兄弟仁義”シリーズ第四作目。

1967年5月20日より

  • 配給
  • 東映
  • 製作国
  • 日本(1967)
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