雪の喪章

昭和五年、妙子は金沢一の老舗、金箔商狭山家に嫁いだ。先代を継いだ夫の国夫は優しく、姑りつも美しい妙子が殊のほか気に入りで、妙子の生活は正しく幸福そのもののように思えた。だがそうした幸福は、国夫と女中せいとの関係を知ったその日から、妙子から去ってしまった。狭山家の“働き手”ではあるが、妙子は、夫や姑の意に反してもせいを出そうと決心した。しかし既にせいが妊娠していたことを知ると絶望のあまり妙子は家出してしまった。雪山で失心していた彼女を救ったのは狭山家の番頭群太郎であった。彼は秘めていた妙子への慕情を訴えるのだったが、そこへ飛びこんできた国夫を見て、逃げ去った。やがて妙子も彦一を出産し、せいの子は京太と名づけられ、こうして彼らの一種奇態な生活が始まった。数年後の冬、折りからの強風で狭山家は全焼した。戦争激化の事情もあり、国夫夫婦は大坂の取引先東屋を頼って行った。ここで妙子は初めて貧しいながらも生甲斐のある生活をした。だが一枚の赤紙が夫を戦地へと奪ってしまった。東屋も閉鎖になり妙子が次に勤めた所は、意外にも群太郎が経営する軍需会社であった。二人の心は微妙に揺れたが、そこへ前ぶれもなく胸を病んだ国夫が帰ってきた。今は金沢の旅館くすもとの女将になっているせいから手紙がきて、病弱な夫をかかえた妙子は涙をのんで金沢に戻った。やがて終戦、ある晩妙子はまたも夫とせいとの不倫の現場を見てしまった。だがせいは過労で倒れ、自分の死後旅館は群太郎に譲るつもりだと国夫に打明け、妙子には一言も口を聞かず息を引きとった。一カ月後の雪の日に国夫もせいの後を追うように喀血して死んだ。さらに数年後狭山家の金箔業を引継いでいた群太郎も妙子への実らぬ愛を抱きながら、やはり大雪の降る日にこの世を去っていった。

解説

水芦光子の原作を、「日本名勝負物語 講道館の鷲」の八往利雄が久々に脚色し、「眠狂四郎無頼剣」の三隅研次が監督した文芸もの。撮影は「女の賭場」の小林節雄が担当した。

1967年1月14日より

  • 配給
  • 大映
  • 製作国
  • 日本(1967)
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