愛の手紙は幾歳月

川島正巳と岡村さとこが最初会ったのは、昭和十年、京都府綾部駅であった。正巳が伍長として満州へ向かうのを岡村母子が見送った時である。正巳は二十一歳、さと子は小学三年生であった。それを機会にふたりの間に手紙の交換が始った。数ヶ月後、満州の正巳に届いたさと子の便りには、「へいたいのおにいさんばんざいさと子」とあった。そして日華事変を経て太平洋戦争に突入するまで、ふたりの往復書簡は百五十通を越えていた。さと子も女学校卒業近く、十六歳になっていた。昭和十七年の初冬、出征したさと子の父が病気で帰還し、あっけなく息をひきとった。悲しみに沈むさと子を慰めたのは、正巳の優しい便りだった。同じ頃、士官学校の試験に合格した正巳が、帰国することになった。再び綾部に降り立った正巳は、さと子の母にさと子との結婚を申し込んだ。しかし正巳の両親は反対して、さと子の母に結婚を諦めてくれるよう頼んだ。この時初めて正巳との結婚話を聞いたさと子の心中は複雑だった。正巳は昭和十九年、士官学校を卒業し、准尉に任官され、満州の戦線に戻った。この時の満州からの便りを最後に、正巳からの連絡は途絶えた。戦局は次第に不利となり、さと子は正巳の部隊がマリアナ群島のテニアン島にあるらしいことを、正巳の妹はるのから聞いた。間もなくテニアン島全員玉砕の報が大本営から発表された。これをきっかけにしたかのように、川島家では不幸が重なり、正巳の母の病死、はるのの夫宮田に続いて正巳の弟勇が戦死、更に終戦の当日はるのが病死した。さと子は終戦の年の九月、最早父子二人だけとなった川島家を初めて訪れた。さと子は正巳の生還を信じ、不幸続きの川島家には自分がどうしても必要だと考え、嫁ぐ決意を母に話した。そしてさと子は母と弟の富夫と共に、一宮の川島家へ移った。昭和二十一年六月、やっと苦しい野良仕事に慣れたさと子は突然正巳の便りを受け取った。玉砕の直前、正巳はロタ島に転属されていたのであった。数日後の深夜、正巳はさと子の待つ家路を急いでいた。

解説

川島正巳・さと子の原作を「妻の日の愛のかたみに」の木下恵介が脚色、「野菊のごとき君なりき」の富本壮吉が監督した実話の映画化。撮影も同じ作品の小原譲治。

1966年7月30日より

  • 配給
  • 大映
  • 製作国
  • 日本(1966)
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