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昭和最大の顔役

昭和二十七年、関西の藤政組と関東の大嶋組が、日本を二分する形で対立していた。そんななかで、藤政組組長政五郎は、東京からの帰途、車中で刺客に殺された。終戦の混乱から立ち直りつつある今、関東、関西とことを分けて対立している時ではないという政五郎の信念から、藤政組は羽根木飛行場拡張工事を引き受け、東京進出を計っていたのだが、これを心よしとしない大嶋組の打った手であることは明白であった。これを怒った藤政組三羽烏の一人勝又は、仇討ちに単身大嶋組に乗り込んで殺された。病床でこれを知った藤政は、三羽烏の一人島津のドスをとって手拭で封印し、藤政組の命は工事であるとさとして息をひきとった。折から政五郎の一の乾分緒形が出所して来たが、緒形は、島津に藤政組の二代目をゆずり、親分の遺言に従って、命を張って工事をすすめるため東京に向った。−−それから十三年の月日がながれ、緒形の努力が実り藤政組は、全国に傘下二五〇団体、組員五千人を持つ大世帯になった。が、一方の大嶋組も関東春秋会を結成して、藤政に匹敵する勢力を持っていた。折も折、羽根木飛行場の移転が霞ケ浦に決り、その工事を藤政組か、関東春秋会かの一つが請負ことになった。拡張工事の折に煮湯をのまされた大嶋は指名を得るためには手段を選ばなかった。そんなとき、水戸の四代目を襲名した勝又の遺児修一が、恋人玲子と婚約した。ところが、玲子は大嶋の隠し子であった。これを知った修一は婚約を破棄し、玲子は自殺し、さらに修一も大嶋の手にかかって殺された。そしてこれを知り、単身春秋会に乗り込んだ島津も大嶋の手で殺された。さすがの緒形も、こんな大嶋の数数の悪業に勘忍袋の緒をきり、恋人香苗と別れ、自分の戒名を書いた位牌を懐に、大嶋組のアジトに乗りこんだ。政五郎形見のドスはうなり緒形は大嶋を刺した。が、緒形も力つき、警視庁への電話を最後にこときれるのだった。

解説

「関東果し状」の村尾昭が脚本を執筆、「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」の佐伯清が監督したアクションもの。撮影は「無頼漢仁義」の星島一郎。

1966年2月25日より

  • 配給
  • 東映
  • 製作国
  • 日本(1966)
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