涙の連絡船

後藤勇治は鹿児島と桜島とを結ぶ連絡船「にしき丸」の船長だが、妹のはるみは桜島で観光客を相手にお土産店と喫茶店をやっていた。彼女は兄勇治の連絡船で働く赤木健一を秘かに想っているのだが、赤木が彼女を子供扱いにしてなかなか相手になってくれないのが大いに不満だった。赤木は戦災孤児で施設にいたのだが、十数年前から後藤のもとで働くようになっていたのだ。激しい風雨のある夜、赤木は嵐で船の出ないのを知って港に立ちつくす旅装の女沢和子を知った。和子は桜島の料亭の娘だったが、父の死以来、母ひとりを残して上京し、バーで働いていたのだが、母の危篤の知らせで帰ってきたのだ。しかし、母の死には間に合わず、和子の家は叔父夫婦に乗取られてしまった。叔父夫婦には信彦という息子がいた。信彦は嫌がる和子を強引に自分のものにしようと企んでいた。その頃赤木は施設時代の先輩新井に逢った。新井は今では暴力団に身をやつし、和子を自分のヒモにしようと桜島にやって来ていたのだ。これを知った健一は、新井の暴力に身をまかせながらも、和子を守ってやった。健一と和子の間には、やがて恋が芽ばえた。が、そんな時、和子は無理矢理信彦に体を犯されてしまった。失意の和子はその後から姿をくらました。が、そんなこととは知らず、健一は施設の教官として東京に渡った。やがて、はるみから和子の失そうを知らされた健一は、施設をやめ、造船所に勤めるかたわら和子をたずねて、街をさまよい歩いた。そしてある日、健一は新井に再会し、和子の居所を聞きだした。が、和子は今では信彦の妻になっていた。病床にいた信彦は、健一に責任を問われ、いたたまれず外にとびだし、事故死した。健一が手がけたタンカーの進水式の日、和子は淋しく桜島に帰っていた。

解説

「おかあさんのばか」の南豊太郎がオリジナル・シナリオを執筆、「馬鹿っちょ出船」の桜井秀雄が監督した歌謡もの。撮影は「若い野ばら」の厚田雄春。

1966年3月19日より

  • 配給
  • 松竹
  • 製作国
  • 日本(1966)
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  • スタッフ・キャスト