ぼくどうして涙がでるの

現在心臓病患者の死亡率は癌に次ぐ死亡率を示し、世界一の近代設備を誇る東京女子医大心臓血圧研究所も、ベッド不足で常時三千人の患者が入院の日を待っている。伊藤紀子も、僧帽弁閉鎖不全と呼ばれる後天性弁膜症で、入院出来る日を待っている一人だった。手術の成功率は五〇%だと言う医師の言葉に、紀子も、兄の文雄も悲しみに沈んだ。だが紀子の恋人の川口の心痛は深かった。入院もきまらず、捨て鉢な気持になった紀子は、川口に全てを捧げる気持で下宿を訪れた。そんな紀子の気持をいたわるように、川口は東京を離れる決心をするのだった。やがて伊藤家に入院通知書が届いた。女子医大三号館四〇一号室。この六人部屋が紀子の新しい住居となった。五分五分の成功率に紀子の心は、日増しに動揺していった。ある日検査の帰り、廊下でしゃがみこんだ紀子に声をかけた六歳の少年木村芳宏を、紀子はこの時から可愛がるようになった。心臓病患者は、胸を押えてしゃがみこむ、芳宏の胸も手あかで汚れていた。芳宏はファロー四微症という先天的心臓障害を背負っていた。手術は難しく、成功例はあまりない重症患者であった。だが芳宏の底抜けな明るさ、無邪気さは、部屋の空気をなごませた。九月十日、紀子は手術室に入った。四〇一号室には涙を出すと生きて帰れないというジンクスがあった。六時間紀子の手術は成功した。一方芳宏は手術が近づくにつれ、手術の恐怖を増していった。手術の朝、両親の到着を待ちながら、「お顔い誰か僕とかわって!」泣き叫ぶ芳宏の身体に、麻酔薬が打たれ、瞳に涙があふれて、玉になってこぼれた。「ぼくどうして涙がでるの?教えてよ看護婦さん」この言葉を残して芳宏は十時間の闘いのあと病室に帰ってこなかった。無事退院した紀子は、人の命の尊さと喜びを心から味わうのだった。

解説

伊藤文学・紀子の同名手記を、吉田健二が脚色、「青春のお通り」の森永健次郎が監督した闘病日誌の映画化。撮影は「渡世一代」の萩原憲治。

1965年10月30日より

  • 配給
  • 日活
  • 製作国
  • 日本(1965)
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