王将(1962)

明治四十年、通天閣をはるかに望む天王寺の裏長屋。そのあばら屋の一角に住む草鞋作りの職人坂田三吉は、将棋気違いの異名通り、将棋大会の通知さえあれば、女房や娘の苦労もかえりみず家に帰って来なかった。女房の小春は、幼い娘玉枝を抱え、日雇い仕事で家計を支えているが、将棋につかれた三吉に愛想をつかし、何度も別れようとしたが、子供のような三吉の姿についほだされてしまい、別れかねていた。そんな或る日、将棋大会が開かれた。三吉は、会費を妙見様のお厨子を売り払って都合した。関西素人将棋会の連中は、毎年三吉に勝たれるのを不快として、京都に遊びに来ていた玄人の将棋指し、関村七段を素人のようにして連れてきていた。決勝に残った三吉は、関東の代表若手棋士関村七段と対決した。三吉は相手を玄人とは知らずぶつかっていった。素人の悲しさ三吉は関村に手もなくひねられた。しかし、この勝負で、三吉は関西将棋会の人達にその棋力を認められた。会の有力者、宮田と西村は三吉と小春を説いて、三吉を玄人の将棋指しになるよう勧めた。それから十年−−。坂田三吉七段の天才的棋力はすでに関西に敵なく、ここに全日本の王座をかけて関東の覇者関村八段に挑戦することになった。勝負は二勝二敗となった。五戦目、旗色は三吉に不利であった。中盤を過ぎてもはや三吉の敗色は濃厚であった。三吉はやけのやんぱちで、持駒の銀を敵陣に打ちこんだ。法も理屈もない無茶苦茶な打ち込みだが、関村はそこに惑わされ、自滅してしまった。結局三勝二敗で三吉の勝となり、坂田会の面々は手拍子を打って喜こんだ。娘の玉枝は、最後の一番に文句をつけて、父親の本当の気持をついた。汚い手で勝つより立派な将棋を指すのが、真の将棋士だと説く玉枝の話に、三吉はだまってうなずくのだった。それ以来、関村と坂田の対局は十一回を数え、坂田の七勝となった。坂田三吉八段に昇段。この時、第十三世名人位の継承問題が起った。坂田会は三吉をかつぎあげて、名人位に挑戦した。だが三吉は、棋力、品格、経歴、声望と共に第一人者は関村八段であるとして、その任を断った。関村名人襲位披露祝賀会が盛大に開かれた。関西から上京した三吉は、手作りの草履を関村名人に送って、心から喜びを祝った。この三吉の真心に名人を始め満場粛然として声もなかった。ちょう度その時、小春が大阪で静かに息を引きとっていた。三吉は大声をあげて泣いた。そして、立派な将棋を指すことを小春の墓に誓うのだった。

解説

北条秀司原作から「源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶」の伊藤大輔が脚色・監督した坂田三吉の半生記。撮影は「八月十五日の動乱」の藤井静。

1962年11月23日より

  • 配給
  • 東映
  • 製作国
  • 日本(1962)
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